【知らない記憶SS】知らない現場
「むー……」
寝転がりながら、カルチャー誌『151A』を天井にかざす。
調臣さんからもらった見本誌だ。つい二週間ほど前に起こしたインタビューが記事になっている。
「うむむむー」
もちろんライターさんによって魅力的に仕上げられた記事には、俺の仕事の片鱗は見当たらない。だけど、そんなことはどうでもいい。
そう。
起こしの存在なんて、表に出るもんじゃない。
それよりも俺が気になっているのは、もっと別の……。
「なにをそんなに考え込んでるの? 朝からずっと、だよ」
怪訝な顔をした久呼さんが、自分の眉間を指し示した。
そんなところに何か付いてたか?
己の眉間を触って、寄った皺に気が付く。ぐりぐりとほぐしながら、ひっそりと心を占めていた懸案事項を吐き出した。
「俺も『かっこ笑い』とか付けるべきなんでしょうか」
「は?」
「なに、かっこ笑いって?」
調臣さんが壁にもたれながら原稿に落としていた視線を上げる。久呼さんはすでに畳に戻って、パソコンの前に正座をしている。
話に興味をなくしたようだ。それでもヘッドホンをつけないでくれているのは、彼女なりの情けだろうか。
「この記事、俺が起こしたんですけど」
「それが?」
「俺は笑ってるところに、(笑)って入れたことがないんですよ。でも記事にはこうやって最後に書かれている。これって、起こしのときにも入れるべきなんですかね? 久呼さんはどうしてますか? 調臣さんは? 編集としてはどうなんですか?」
鞄から取り出した雑誌の箇所を示しながら、俺は久呼さんに詰め寄った。
彼女は微かに眉を寄せた。
「ばかなの?」
……どうやら呆れていたようだ。
「俺は真剣です!」
負けずに言い募ると、小さく溜息をつきながらも答えてくれた。
「そんなの、そのときどきでしょう」
「確かに……」
以前言われた。依頼人それぞれによって求めるものが違うのだと。
だとすれば、(笑)の使いようだって、案件それぞれだ。
「僕としては、記事のテイストやライターの好みとしか言えないなあ」
調臣さんがどうでもいいというような軽口で応じる。
俺はこんなに真剣に悩んでいるというのに。
「……決めちゃえば楽なんだけどね」
久呼さんの呟きに、俺はすぐさま首を振った。
「それはダメです! 枠を決めない細やかなサービスが音谷反訳事務所のいいところなんですから」
調臣さんが楽しげに拍手をしている。ぱちぱちという間抜けな音が、俺の恥ずかしさを高めていく。
「自分で考えます!」
クライアントが起こしに(笑)を入れてほしいと思うときとは。
そもそも(笑)が必要になるときとは。
そもそもライターの好み……。どんなテイストになるのかなんて、記事になるまで知ることはない。
――ああ、くそ!
「わかんねー!」
「なに?」
「いえ、こっちの話です。独り言でした。今できたのをクラウドに上げます」
原稿を確認しながら、久呼さんは小さく肩を回す。
ひらひらと揺れる袂に、目線が吸い寄せられた。
「まだ考えてるの? そんなどうしようもないこと」
「どうしようもなくなんて――」
ああ、でも……、
「どうしようもない、ことなんですかね」
想像しようにも、経験も知識も足りない。
だから、どうしようもないこと……なのかもしれない。
肩を落としていると、久呼さんは珍しく大仰に溜息をついてみせる。
「あんたねぇ。雇用主としては、そんな細かいところにこだわるより、内容の精度を上げてほしいものだけど」
「はい、すみません。その通りです。精進します」
もう顔を上げる気力もなく、膝の上で拳を握りしめる。
本当に、その通りだ。
細かい主張をするよりも、もっと磨かなくちゃいけないことは山ほどある。スピードも、内容の精度も、校正の正確さも。
すべてが一人前になったとき、細かいことまで高めていけばいい。
どうでもいいことにならないように。それは自分自身の心持ち次第だ。
気を引き締めた俺の耳に、調臣さんの鷹揚な笑みが届いた。
「まあ、それが丹羽くんのいいところなんだよね」
「う……ありがとうございます」
お礼を言いながらも、心の裏で冷や汗が流れ始める。
ああ、次の言葉が怖い。
「そんな無駄なことで悩むよりも、自分の指針を作っちゃったほうが早いんじゃない? ころころ指針を変えられるほうが困るよ。それでクレームきたら、それに誠実に対応すれば遅くはないだろう」
「な、なるほど!」
自分の指針。いいことを聞いた。
調臣さんにしては案外まともなアドバイスをくれた気がする。
身構えていたのは、早合点か。よかった、よかった。
知らず額を拭っていると、それよりもさーと調臣さんが言葉を継ぐ。
「ぶっちゃけ、そんな細かいことにこだわられるよりも、ちゃっちゃか案件終わらせてもらったほうが助かるよねー」
……そう物事がうまく運ぶわけがない。特にこの人においては。
「は、は、は……そうですよねー」
脱力するとともに、再び肩が落ちた。
「精進いたします」