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SORA tabi NIKKI

バレンタインSS~紗綾の場合 byコハルノート

「紗綾っ!」

 待ち合わせ場所で本を広げていた私は、すぐに顔を上げた。そこに小梅ちゃんが飛び込んでくる。

 いきなりのハグに、思わず私はよろめいた。

「久しぶり! 会いたかったよぉっ!」

 肩から顔を上げた小梅ちゃんは満面の笑顔だ。もう、かわいい。許す。

「久しぶりって、私の受験が始まってからじゃない」

「だって、もうすぐこうやって会えなくなっちゃうと思うと」

 小梅ちゃんは秋からイギリスの専門学校へ留学して、アロマテラピーを学ぶ。その前の半年、ホームステイで短期の語学留学に行くことにしたという。

 出発は卒業式の後すぐを予定しているから、こうして自由に会える時間はひと月も残されていない。

「準備で忙しいのに、時間を作ってくれてありがとう」

「紗綾こそ、受験お疲れさまでした」

 昨日の試験で、出願していた受験は全て終わりを迎えた。

「まだ結果は出てないけどね」

 なんとなくの手応えはあったけれど、どうしても不安はよぎる。実際に問題は解けていなかったら、回答のコマが一つずつずれていたら……。

「大丈夫、紗綾なら! 絶対いい薬剤師さんになるって!」

 小梅ちゃんが私の手をぎゅっと握りしめる。そこからパワーが流れ込んでくるようだ。

「薬剤師って、気が早いよ、小梅ちゃん」

 私は笑うことで、彼女に元気を伝えた。

 ステイ先の家族へのお土産にするのだと、クレアモールのお店を覗きながら、小梅ちゃんは和風雑貨やお菓子を選んでいく。最後に立ち寄った百円ショップでも、レジ近くの和雑貨に足を止めた。

「ねぇ、紗綾。このマステ、どっちが『ザ・日本』って感じがする?」

 小梅ちゃんが持ち上げた二つを見比べて、私は右を指した。

「こっちかなぁ……富士山に桜が描いてあるし。桜の時期だから、『いま日本では、こんなにきれいな風景が見られます』って言えるんじゃないかな」

「あ、それいいね! じゃあこれにしよう!」

 嬉しそうにレジから戻ってきた小梅ちゃんは、にぃっと口角を上げた。

 これからが、今日のメインだ。

「うううう……」

 唸り声を上げながら見つめているのは、難しいテキストでも、怖ろしいホラー小説でもない。小梅ちゃんの言葉にすれば、『ザ・チョコレート菓子』のレシピ本だ。

「小梅ちゃんのお母さん、お菓子作りうまいんだから、家で作ればいいのに」

 苦笑を漏らすと、小梅ちゃんは眉を八の字に寄せた。

「最近うるさいの。お菓子なんか作ったら、澄礼さんのこと根ほり葉ほり聞いてくるに決まってるんだから。お父さんも邪魔しようとしてくるし」

 両親が公認ということにも、いろいろな弊害があるらしい。

「そろそろ始めないと、明日までに出来上がらないよ?」

「でも、これも美味しそうだし……これも、あ、でもこっちも。ねぇ、紗綾はどれを食べたい!?」

「私の好み言ってもしょうがないじゃん」

「いいの!」

「うーん、そうだなあ……」

 明後日のバレンタインのために、小梅ちゃんとお菓子を作ろうということを約束していた。あげる相手は、もちろん……朝霧さんだ。

 彼が始めたハーブティーとアロマオイルのお店『コハルノート』は、川越でものんびりとした憩いの場所として定着しつつある。商売っけのない店長に対して、こういうイベントをやろうと意欲的なのは、アルバイトをしている小梅ちゃんだ。そして、周りの大人二人が、それをけしかけている。

 私はそれが非常に気にくわない。

 店長である朝霧さんが店を盛り上げることを考えるべきだし、無責任に褒めて小梅ちゃんを煽るつぼみさんも、オーナーの適当男・樹が無責任を装って、大人な態度で影から密かにサポートしてることも苛立たしい。

 要は、店での勤務時間以上に小梅ちゃんの時間を奪っていくことに、私は嫉妬してしまうのだ。もちろんそれを態度に出すほど子どもではないけど、全てを呑み込めるほど大人でもない。

 それでも彼女の夢は応援したい。

 そして彼女において行かれないように、私も夢を決めたのだ。

 ふわふわと柔らかいシフォンケーキは、幸せを内包していそうなところが小梅ちゃんに似ている。

 焼き上がったチョコレートシフォンは、一日寝かせたほうが、生地はしっとりと落ち着く。明後日はちょうど食べ時を迎えるだろう。

 そう言うと、じゃあ明日来るねと小梅ちゃんはあっさりと帰っていった。

 翌日ラッピング用品を提げてきた小梅ちゃんと試食をして、ひとつずつ包んでいく。青のリボンが二つに、紫に、緑、白、赤……数えて、私はあれ、と声をあげた。

「一つ多くない? こっちは小梅ちゃんのお父さんに、小雪くんでしょう?」

 言いながら、青と水色を指す。以前父の日や弟の小雪くんの誕生日プレゼントを選ぶとき、青系を選んでいた。

「紫はつぼみさん、緑は樹さん、白は澄礼さんでしょう?」

 残った赤いリボンのラッピングが気にかかる。

「バレンタインだから?」

 赤というのは、朝霧澄礼からイメージする色ではない。どちらかというと、白とか、茶色とか。大人しい色味や澄んだ色が似合うのではないか。

「これは澄礼さん用のじゃないの」

 私はますます混迷を深めた。

「じゃあ、お母さん?」

 それにも小梅ちゃんは首を振った。そして両手で持ったシフォンケーキを、私に向かって差し出した。

「これは、紗綾に!」

 戸惑う私に、小梅ちゃんは照れたように続けた。

「試食でさっきも食べたけど……騙すようなことして、ごめんね?」

「ううん」

「一人で美味しく作れるか不安だったのもあるんだけどさ、紗綾と作ったら、その間一緒にいられるし、いろいろ話もできるでしょ。だから……わっ」

 昨日の待ち合わせのときの小梅ちゃんのように、私は彼女に飛びついた。小梅ちゃんは驚きながらも、無条件に受け止めてくれる。

 いつもそうだ。小梅ちゃんは誰かに憤ることはあっても、拒絶することはない。

 そうやって、私も彼女に癒やされてきた。

「お返しするから、ホワイトデーも一緒にお菓子作ろう。忙しいかな?」

 出発まで十日と少し。

 小梅ちゃんの留学は一年ほどを予定しているけれど、未来はどうなるかわからない。『今』という思い出が、私たちにとって一番の贈り物だ。

「いいの!? お、お泊まりとかもしたいから、うちに遊びに来て!」

 小梅ちゃんの顔が、ぱっと輝いた。

「今度は小梅ちゃんの食べたいものを作ろうね」

 思わず小さな笑いがこぼれてしまう。

 嬉しくて、幸せで。そんなときにも笑ってしまうんだと知った。

 小梅ちゃんとの思い出は、小さなことでもダイヤモンドのような宝物となる。きっといつまでも、色あせることはない。

 きらきら、と輝くそれに、本物の私も負けないものになろう。

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